マムルーク絨毯 手紡ぎ草木染 120x80

115,000円

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中世からの歴史を持つマムルーク絨毯です。当時、シルクロード上の国々や力を持つ国々を魅了した芸術のこの絨毯は、カイロを中心としたイスラム王朝で生まれました。そのため、世界の博物館に眠るこの時代の絨毯はカイレーン絨毯(Cairene carpet)とも呼ばれます

絨毯全面を埋め尽くす細かな幾何学デザインですが、アフガニスタンに住むトルクメン人熟練デザイナーと、熟練の織り手が実現してくれました。糸は当時と同じ様に手紡ぎされたものを草木染めしたものです。

なお、本品の工房はアラブ系国家の宮殿等からも受注のあるこの世界の重要な工房ですが、直接卸していただいております。

海外輸出輸送手続きの関係上、織り上がったものはパキスタンに陸送され、そちらからイスタンブールまたは日本に直接送って頂いております。

手紬の糸を使用しており、毛足が短くなっているように見える部分もございますが、マムルーク絨毯に時々見られることでして、合格品ですのでご安心ください。


サイズ :約120x80cm
素材  :パイル 羊毛  縦糸 綿

お手入れは専門のクリーニングをお勧めいたします。

マムルーク朝についてAnatolian Concept過去ブログ2015年より抜粋

■マムルーク朝 etc

1250−1517年まで続いたカイロを中心としたイスラム王朝。

エジプトを中心に、アナトリア東部、シリア、ヒジャーズまでを支配したスンナ派のイスラム王朝(1250年 – 1517年)。地域的には現在のサウジアラビア、パレスチナ、スーダン、リビア。当時はアナトリア東部だけでなくカイセリもトーラスもマムルーク朝の領域の中。

幾何学的模様のマムルーク絨毯は、マムルーク朝のQa’it-bayスルタンの時に美術工芸繁栄の時期を迎え、その中で生まれたようだと、当時のイタリアの旅行家バルバロ他いくつかの書物が証明しているようです。あのメディチ家の家具リストの中にもカイロ絨毯があるそうですが、どんな絨毯かとっても気になります!!


1485–1491年、マムルーク朝とオスマン帝国の間で戦争が起こり、オスマン帝国はアナトリア全部とシリアを手に入れたのち、1516−1518年の戦争でマムルーク朝が滅び、その領土はオスマン帝国の手に落ちます。

その後マムルーク絨毯を始めとするカイロ絨毯にはオスマン帝国のテイストが加わるようになり、カイロ絨毯職人であったエジプト人及びツヤのあるエジプト羊毛はイスタンブールに集められ、オスマンテイストを含んだエレガントな宮廷絨毯やマムルーク絨毯が織られたと言われております。





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