マムルーク絨毯 163x105
アフガニスタンの素晴らしい工房で織られたマムルーク絨毯です。
中世を魅了した芸術のマムルーク絨毯は、カイロを中心としたイスラム王朝、マムルーク朝で生まれました。
当時の欧州の王室や貴族、権力者はこぞってこのエキゾチックで高技術の絨毯を登美の象徴としてオーダーしたと言われております。欧米の博物館には、そういった王室や貴族の使用していたマムルーク絨毯が保管されております。
絨毯全面を埋め尽くす細かな幾何学デザインは、小さなサイズでは実現できず、熟練のデザイナーと、一度に数人で寸分の違いもなくデザインを崩すことなく織ることが出来る織り手が必要となりますが、それを見事にアフガニスタン在住のトルクメン人達が実現してくれました。※2021年8月以降、工房場所が変わる可能性があります。
糸は当時と同じ様に手紡ぎと草木染め、織り上げまでをアフガニスタンで行い、トラックでパキスタンに送った後、クリーニングとストレッチの仕上げをパキスタンで行い、各国向けに輸出手続きが行われます(アフガニスタンから各国へは輸出手続きが困難なため)。
なお、本品の工房はアラブ系国家の宮殿等からも受注のある大きな工房ですが、直接卸して頂いており、中間マージンなしのご紹介となっております。
日本国内外から工房名の照会が多いのですが、ペルシャ絨毯とは扱いが異なりますので、お知らせしておりません。何卒ご了承ください。上質のものをそのタグ等なくともわかっていただける方にお届けしておりますとっておきの絨毯です。
ノットですが、基準は5x5ですが、手紡ぎ糸であり、デプレスがきいておりますので、お写真でご確認頂ける様にダブルノットが奥と手前に立体になっております。
全体的に上質なビロードのような肌触り、メダリオンを構成する色使いは高級調度品に使用する布地のようなエレガントなデザインで埋め尽くされています。
見る方向で濃淡が変わりますので、お写真ご参考になさってください。
サイズ ;163x105cm
素材 :縦糸 綿 パイル 羊毛
マムルーク絨毯等中世美術歴史等についてのブログ : http://lemoyenage.jugem.jp/
マムルーク朝についてAnatolian Concept過去ブログ2015年より抜粋
■マムルーク朝 etc
1250−1517年まで続いたカイロを中心としたイスラム王朝。
エジプトを中心に、アナトリア東部、シリア、ヒジャーズまでを支配したスンナ派のイスラム王朝(1250年 – 1517年)。地域的には現在のサウジアラビア、パレスチナ、スーダン、リビア。当時はアナトリア東部だけでなくカイセリもトーラスもマムルーク朝の領域の中。
幾何学的模様のマムルーク絨毯は、マムルーク朝のQa’it-bayスルタンの時に美術工芸繁栄の時期を迎え、その中で生まれたようだと、当時のイタリアの旅行家バルバロ他いくつかの書物が証明しているようです。あのメディチ家の家具リストの中にもカイロ絨毯(マムルーク絨毯)があるそうですが、どんな絨毯かとっても気になります。
1485–1491年、マムルーク朝とオスマン帝国の間で戦争が起こり、オスマン帝国はアナトリア全部とシリアを手に入れたのち、1516−1518年の戦争でマムルーク朝が滅び、その領土はオスマン帝国の手に落ちます。
その後マムルーク絨毯を始めとするカイロ絨毯にはオスマン帝国のテイストが加わるようになり、カイロ絨毯職人であったエジプト人及びツヤのあるエジプト羊毛はイスタンブールに集められ、オスマンテイストを含んだエレガントな宮廷絨毯やマムルーク絨毯が織られたと言われております。
お求め前に必ずお読みください。
■絨毯は織られた毛並みの方向やツヤにより色の見え方がかわります。また、お使い頂く環境や照明、お使い頂くPCのモニターによって若干の違いが見られる事がございます。本品のお写真は自然光、室内撮影のものです。
■すべて一点ものをご紹介させていただいておりますので、お支払いご予定のない安易なお求めやキャンセル等は他のお客様のご迷惑になりますので、ご理解いただけましたら幸いです。
■他サイトへの出品予定やメールでのご注文等もございますのでタイミングによってはご注文後に在庫なしのお知らせをさせて頂く事もございますので念のためお知らせします。
中世を魅了した芸術のマムルーク絨毯は、カイロを中心としたイスラム王朝、マムルーク朝で生まれました。
当時の欧州の王室や貴族、権力者はこぞってこのエキゾチックで高技術の絨毯を登美の象徴としてオーダーしたと言われております。欧米の博物館には、そういった王室や貴族の使用していたマムルーク絨毯が保管されております。
絨毯全面を埋め尽くす細かな幾何学デザインは、小さなサイズでは実現できず、熟練のデザイナーと、一度に数人で寸分の違いもなくデザインを崩すことなく織ることが出来る織り手が必要となりますが、それを見事にアフガニスタン在住のトルクメン人達が実現してくれました。※2021年8月以降、工房場所が変わる可能性があります。
糸は当時と同じ様に手紡ぎと草木染め、織り上げまでをアフガニスタンで行い、トラックでパキスタンに送った後、クリーニングとストレッチの仕上げをパキスタンで行い、各国向けに輸出手続きが行われます(アフガニスタンから各国へは輸出手続きが困難なため)。
なお、本品の工房はアラブ系国家の宮殿等からも受注のある大きな工房ですが、直接卸して頂いており、中間マージンなしのご紹介となっております。
日本国内外から工房名の照会が多いのですが、ペルシャ絨毯とは扱いが異なりますので、お知らせしておりません。何卒ご了承ください。上質のものをそのタグ等なくともわかっていただける方にお届けしておりますとっておきの絨毯です。
ノットですが、基準は5x5ですが、手紡ぎ糸であり、デプレスがきいておりますので、お写真でご確認頂ける様にダブルノットが奥と手前に立体になっております。
全体的に上質なビロードのような肌触り、メダリオンを構成する色使いは高級調度品に使用する布地のようなエレガントなデザインで埋め尽くされています。
見る方向で濃淡が変わりますので、お写真ご参考になさってください。
サイズ ;163x105cm
素材 :縦糸 綿 パイル 羊毛
マムルーク絨毯等中世美術歴史等についてのブログ : http://lemoyenage.jugem.jp/
マムルーク朝についてAnatolian Concept過去ブログ2015年より抜粋
■マムルーク朝 etc
1250−1517年まで続いたカイロを中心としたイスラム王朝。
エジプトを中心に、アナトリア東部、シリア、ヒジャーズまでを支配したスンナ派のイスラム王朝(1250年 – 1517年)。地域的には現在のサウジアラビア、パレスチナ、スーダン、リビア。当時はアナトリア東部だけでなくカイセリもトーラスもマムルーク朝の領域の中。
幾何学的模様のマムルーク絨毯は、マムルーク朝のQa’it-bayスルタンの時に美術工芸繁栄の時期を迎え、その中で生まれたようだと、当時のイタリアの旅行家バルバロ他いくつかの書物が証明しているようです。あのメディチ家の家具リストの中にもカイロ絨毯(マムルーク絨毯)があるそうですが、どんな絨毯かとっても気になります。
1485–1491年、マムルーク朝とオスマン帝国の間で戦争が起こり、オスマン帝国はアナトリア全部とシリアを手に入れたのち、1516−1518年の戦争でマムルーク朝が滅び、その領土はオスマン帝国の手に落ちます。
その後マムルーク絨毯を始めとするカイロ絨毯にはオスマン帝国のテイストが加わるようになり、カイロ絨毯職人であったエジプト人及びツヤのあるエジプト羊毛はイスタンブールに集められ、オスマンテイストを含んだエレガントな宮廷絨毯やマムルーク絨毯が織られたと言われております。
お求め前に必ずお読みください。
■絨毯は織られた毛並みの方向やツヤにより色の見え方がかわります。また、お使い頂く環境や照明、お使い頂くPCのモニターによって若干の違いが見られる事がございます。本品のお写真は自然光、室内撮影のものです。
■すべて一点ものをご紹介させていただいておりますので、お支払いご予定のない安易なお求めやキャンセル等は他のお客様のご迷惑になりますので、ご理解いただけましたら幸いです。
■他サイトへの出品予定やメールでのご注文等もございますのでタイミングによってはご注文後に在庫なしのお知らせをさせて頂く事もございますので念のためお知らせします。
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