マムルーク絨毯 手紡ぎ草木染 260x181 55511

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中世からの歴史を持つマムルーク絨毯です。

中世を魅了した芸術のマムルーク絨毯は、カイロを中心としたイスラム王朝で生まれました。

絨毯全面を埋め尽くす細かな幾何学デザインは、小さなサイズでは実現できず、熟練のデザイナーと、一度に数人で寸分の違いもなくデザインを崩すことなく織ることが出来る織り手が必要となりますが、それを見事に現代のトルクメン人達が実現してくれました。

糸は当時と同じ様に手紡ぎと草木染めです。

なお、本品の工房はアラブ系国家の宮殿等からも受注のあるこの世界の重要な工房ですが、直接卸していただいております。特別価格でご紹介となります。

アフガニスタン在住のトルクメン人糸の手紡ぎから草木染め作業、そして水平機で織り上げます。

海外輸出輸送手続きの関係上、織り上がったものはパキスタンに陸送され、そちらからイスタンブールまたは日本に直接送られております。


サイズ :約260x181cm
素材  :パイル 羊毛  縦糸 綿

お手入れは専門のクリーニングをお勧めいたします。

マムルーク朝についてAnatolian Concept過去ブログ2015年より抜粋

■マムルーク朝 etc

1250−1517年まで続いたカイロを中心としたイスラム王朝。

エジプトを中心に、アナトリア東部、シリア、ヒジャーズまでを支配したスンナ派のイスラム王朝(1250年 – 1517年)。地域的には現在のサウジアラビア、パレスチナ、スーダン、リビア。当時はアナトリア東部だけでなくカイセリもトーラスもマムルーク朝の領域の中。

幾何学的模様のマムルーク絨毯は、マムルーク朝のQa’it-bayスルタンの時に美術工芸繁栄の時期を迎え、その中で生まれたようだと、当時のイタリアの旅行家バルバロ他いくつかの書物が証明しているようです。あのメディチ家の家具リストの中にもカイロ絨毯があるそうですが、どんな絨毯かとっても気になります!!


1485–1491年、マムルーク朝とオスマン帝国の間で戦争が起こり、オスマン帝国はアナトリア全部とシリアを手に入れたのち、1516−1518年の戦争でマムルーク朝が滅び、その領土はオスマン帝国の手に落ちます。

その後マムルーク絨毯を始めとするカイロ絨毯にはオスマン帝国のテイストが加わるようになり、カイロ絨毯職人であったエジプト人及びツヤのあるエジプト羊毛はイスタンブールに集められ、オスマンテイストを含んだエレガントな宮廷絨毯やマムルーク絨毯が織られたと言われております。





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